デカダンス ダンス

地獄詩人ヘルポエマーによる地獄詩のブログ。

cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

久々に歌詞カードを見ながらアルバムを通して聴いた。他ごとは何もせずに曲を聴き続けた。ここまでアルバムを聞く前にワクワクしたのは、高校生の頃以来のように思う。このワクワクは、悟空の「おら、ワクワクすっぞー」的な不純物の全く無いピュアなワクワクであり、嫌いなヤツが窮地に立たされているのを見てニヤニヤしてしまうようなダークサイドワクワク成分は含まれていない。

 

 

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

POLY LIFE MULTI SOUL (初回盤A)

 

 

 

今までのアルバムは、曲の連なりでアルバムを構成しているような印象があって、1枚のアルバムでも断片的に切り取った場合は、切り取った部分によって印象が大きく変わるように思えた。*1それに対し本作はどこで切り取っても『POLY LIFE MULTI SOUL』の指し示す一点に集約される。これは音楽性に統一感が出ているだとか、ひとつの音楽ジャンルに曲が収まっているといった次元の話ではない。それぞれの曲が一本の映画のようであり、それぞれがアイデンティティを確立しているにも関わらず、それらの独立した曲が一点に収束し、幾何学的に計算された歪みの無い構造の結晶を作り上げているのだ。

 

 

当の昔からの話だがceroは、本当にどこかの音楽ジャンルの拘束の下には存在しえないし、無理やりに押し込むことさえも出来ない。そして誰も真似できない。二番煎じの追随さえも許さない。オードリー春日が「私は、ボケでもツッコミでもなく『春日』という立場ですよ。」とテレビ番組で言っていたことがあるが、ceroも春日と同じだ。あるいは、春日はceroなのかもしれない。ceroは、BOWYより空集合が似合う。CER∅・・・ダセえ・・・。


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いろいろ硬い文を書いたけど、つまるところ『POLY LIFE MULTI SOUL』のおかげで「2018年夏が最高になる保全」を5月中旬に取れたしマンモスうれぴーってことに尽きる。あと、無職なんで当然ラブ・フラゲ!してますからね。土日の休みに買いに行こうと思っている人は発想の転換して、「無職になれば、発売日前に聴けたじゃん。仕事やーめぴ」にシフトすることを推奨します。

 

 

最後にceroが好きになってからずっと思っていたこと

・一人のカリスマが引っ張るバンドでは無く、3人とも天才ってなんなんだ

・自分のボキャブラリーを超えてバックグラウンドが全く見えない音楽がマブいと思ってるからceroMUTEKIだぜ

*1:アルバムがストーリー仕立てであるからであり、このことに否定的なニュアンスは一切無い。