デカダンス ダンス

地獄詩人ヘルポエマーによる地獄詩のブログ。

ワンルーム・ディスコ ~上・京・物・語~

私は前の仕事での疲弊で、感受性が根こそぎかっさらわれたと思っている。休職してもなお楽しいこと、嫌なこと、悲しいこと等々の様々な感情は、少し時間が経つと「どうでもいいや」に帰着させる癖がついてしまっていた。しかし、4月11日に上京して以来、生活の変化が感受性の復活をもたらしたように感じている。そこで、入居してから一度名古屋に帰るまでのことを備忘録としてここに控える。

 

 

 

4月11日(水)

朝早くに実家を出て、名古屋駅から高速バスにゆられ、東京駅へ向かった。道中で首都高に乗ったのだが、目的地である東京駅に近づくにつれて、東京の摩天楼も姿を現してきた。その時に「この都市に生活の拠点を移すということが、自分の人生に変化をもたらすだろう」という思い込みが、確信に変わった気がした。

 

三鷹にある不動産会社へ向かい、鍵の引き渡しをして、16時には入居した。ハウスクリーニングがされているため、内見の時より綺麗になっている。ボロボロだったコンロも綺麗なIHに交換されていた。入居時の部屋の印象は、クリーナーと思われる臭いが強いと感じたことが先行した。電気を試しに着けようとした際に、部屋に照明器具が無いことに気付いた。早急に買わなければならないとは思ったが、照明にこだわりたい気持ちと、照明器具の取り付けのための足場(脚立に代わるもの)が必要になることと、19時前にガスの使用開始における立ち会いがあり出かけづらいことの3点の理由により、購入は後日にしてキッチンあたりにある照明でやり過ごすこととした。

 

ガスの開通手続きが終わると、最低限必要なものを買うために、吉祥寺駅周辺に向かった。節約を始めようと思っていたので外食はせず、SEIYUで魚肉ソーセージや、おにぎり、バナナ、格安の水、値下された食パンと菓子パンを、近くの薬局で歯ブラシ、ハンドソープ、シャンプーを購入。実家暮らしでは買わないものばかりであったので、どれを買えばいいのか悩む時間が長く、多大な時間を要した。特にシャンプーは悩んだ。使い終えたシャンプーボトルは洗っても、違う銘柄のシャンプーを入れることはよろしくない気がした為、ここで決めたシャンプーの銘柄をずっと使わなければならないという強迫観念に縛られていたからである。また、節約のために安いものを買いたいと思っていたので、1g単位で格安なのは、大容量の詰め替えだと思い、一番大きいサイズの詰め替えタイプに選択を絞った。そこで、広告の品として売り出されていたパンテーンのシャンプーを買うことにした。ここまででかなりの時間を浪費していたため3種類あったパンテーンのシャンプーの中からは、青が好きだからという理由でジャケ買いした。まさか、ここに落とし穴があるとは、全く予知できていなかったのだが。

 

買い物を終え、新居へ戻った。やはり蛍光灯のない部屋は暗い。とりあえず、買ってきたハンドソープで手を洗い、食事にした。口にしてから思い出したのだが、私は魚肉ソーセージが好きではない。基本的に嫌いな食べ物が無い中、数少ない苦手な食べ物である。魚肉ソーセージが好きな人が私の家族にはいないため、家で見かけることは無く、長らく目にしていないことから自分が嫌いであることも忘れ、安さにつられて買ってしまったのである。好きではない食べ物を、自分の選択によって、食していることに残念な気持ちになった。とは言いつつも、食べられないわけではないので、1本を完食した。5本残っていることが重く圧し掛かる。次は、トースターがないので食パンを焼かずにそのまま食べた。食パンは、焼かなくてもそれなりに食べられるものと認識していたのに、想像よりはるかに不味かった。実家での生活を思い返したところ、母親がメディア露出もしばしばあるような、多少富裕層をターゲットにしたフランスパンの店で働いており、常にそこの食パン(パン・ド・ミ)が実家にストックされていることを思い出した。今まで当たり前のように食べていたパンが、とても質の高いものだったことに面食らった。ただ、晩飯を食っただけで東京での生活に不安が募り始めた。

 

暗い部屋にずっといると自分のマインドまで暗くなりそうだったので、近くのスーパーへもう一度買い出しに行き、ワインを一本購入した。自宅に帰り、ドアを開けるとまず、ハウスクリーニングの強いにおいが鼻をさす。この臭気は当然良いわけは無いが、耐えかねる程度ではない。気になるのは、日常生活とは少しはなれた孤独感をあおる様な臭気であるところだ。この臭気に加えて、真っ暗さは、私が部屋に拒まれている感覚に陥らせた。

 

動かずにいるとネガティブに拍車がかかるので、することをしようと思い、シャワーに入った。シャンプーは、先ほど買った詰め替え用をボトルに移さずにそのまま使うこととなる。頭を洗っているときに気付いたのだが、全然泡が立たない。女性用のシャンプーだからそんなものなのかと思おうとしても、違和感が残る。シャワーでシャンプーを洗い落とし、シャンプーのパッケージを観たところ、そこにはトリートメントとの記載があった。私は、シャンプーとトリートメントを買い間違えたのである。こんな、おっちょこちょい代表のようなショボミスを入居当日に犯してしまったことが、食事以上に幸先の悪さを強く感じさせた。そもそも、今までトリートメント(コンディショナーとの違いもよく分からない)は、銭湯で気分が乗ってたらたまに使うもの程度の存在であり、普段の生活において全く必要としないものとして認識している。私の生活に不要なものを、あれほど時間をかけて選んだ無駄さも私の哀しみに寄与した。

 

シャワーから上がると、全くサッパリしていないが無駄にいい匂いのする自分の頭に対する嫌気をはやくかけ消そうと、ワインを飲み始めた。気が張っているのか、飲んでも一向に酔いが回る感覚がこない。部屋は相変わらず暗い。私物はスーツケースとリュックに入る分だけのものしか手元にないので、当然、家電や家具もCD棚も本棚もない。カーテンもない。冷蔵庫もない。テレビも無え、ラジオも無え、車もそんなに走って無え。私は東京に来たはずなのだが。この部屋は、最近見た映画の死刑囚が投獄されている独房とイメージが重なった。職も無ければ、特に夢を追うわけでもないこともあり、将来への不安、勢い任せで上京したことに後悔の念押し寄せてきて絶望感に全身を支配され始めた。東京という地が好きで上京したのだが、これはまさか芥川龍之介の『芋粥』状態なのではないかとも思った。とりあえず、気持ちを落ち着かせようと思い、温くなったワインを飲むペースを上げた。

 

ワインを飲み進めながら、高校3年生の頃に絶対将来やろうと誓った、一人暮らし初日に部屋でPerfumeの『ワンルーム・ディスコ』を聴くという目論見を実現させた。そうすると、Perfumeの3人が広島アクターズスクールを出て上京した頃のことを想像してしまいなんだか泣けてきた。10代半ばで親元を離れて上京したばかりで不安な中、頑張っていたPerfumeに比べて、自分の不甲斐なさにはやるせなさしかない。

 

Perfumeの以外にやりたかったこととして、ケツメイシの『東京』を聴くということもあったので聴いた。聴いていると親へのありがたみ感じるモードに入って切なくなった。今住んでいる物件は、家賃に対してかなりの良物件であり、壁もそれなりに厚いのか隣の部屋から物音ひとつしない。テレビの音も話し声も、咳払いも何も聞こえない。人気を感じられない完全な静寂である。生活の時間帯が合わず、実家に住んでいても話すことが無い時もあったのだが、人気というのは大きいものらしい。この閉塞感と逃れることのできないことに恐怖に太刀打ちできる気がしない。

 

どうにかせねばと思うものの、読みかけの小説を読む気にもならない。そこで持ってきていたPCでAVを観賞することにした。実家だと基本イヤホン必須だったが、卑猥な音を部屋に垂れ流しできるという、一人暮らしを始めたばかりの大学一年生が感じそうな喜びに浸った。その頃には深夜12時を回り、私の誕生日である4月12日となっていたと思う。

 

AVを観てからは寝てしまえば勝ちだと思い、寝ることにした。ベッドは東京で買うつもりだったので、スーツケースで持ってきていた寝袋と掛け布団で寝ることにしていた。寝袋があるとは言えど、フローリングの上に敷いていては寝心地は悪い。また、枕もない。なんも無え。

 

 

 

4月12日(木)

とりあえず必要となりそうな、オーブントースター、冷蔵庫、自転車、箱ティッシュ、キッチンペーパー、カーテン、フライパンなどを購入した。全て早く手元に欲しかったのと、送料を取られたくないことから何往復もして買い物を進めた。とくにハードだったのが冷蔵庫である。自宅から徒歩15分ほどのところにあるリサイクルショップで買ったのだが、金は無いが時間はあるので台車を借りて自力で運んだ。疲れはしたが、送料の節約に成功した。

 

自転車は歩いて自宅より歩いて5分ほどの自転車屋で購入した。対応してくれた店員が気さくな方でたくさん話してくれた。京都出身とのことで上京した理由などについて聞いた。その時に、聴きづらいことも惜しげもなく話してくれた。また、くるりスーパーカーが好きで、ceroなども興味があるとのことで会話が弾んだ。昨晩は孤独で仕方が無かったので、雑談できたことが嬉しかった。この自転車屋は今後も頻繁に通る道沿いにあり、今後もちらほら会えそうなので、話し相手が出来たことで多少前向きになれた気がした。

 

 

この日は私の誕生日であることもあり、夜は東京に単身赴任で住んでいる父親と夕飯にいく約束をした。父親が集合場所に指定したのは渋谷のハチ公前である。渋谷に集まった理由はお互いの交通の便を加味した結果であり、渋谷で気に入った店があったわけではなく、わざわざハチ公前の集合という定番に浸りたかったわけではない。それにしても、渋谷はかっこいい。
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父親と別れてからは、阿佐谷のバーに向かった。何度か出入りしたことがある店だったが、ついた時はお会いしたことのある人はいなかった。ただ、スタッフさんが友達の知り合いだったのでいろいろ話をさせていただいた。私の所属していた大学の音楽サークルについても詳しく、名古屋音楽シーンにもかなり精通しているようだった。今度お会いした際はいろいろ音楽を教えていただきたいものだ。途中から以前お会いした方が来た。名前も覚えていてくれてうれしい限りである。EMCの江本さんが出演している上映中の映画『クソ野郎と美しき世界』を観てきたとのことだったので、時間が出来れば私も行こうと思った。

 

 

父親や東京で知り合った人との会話で生活に好転の兆しを感じていた。実家から宅急便で送った私物も届いていたし、昨日に比べると自分の部屋らしくなってきた。しかし、夜に真っ暗な、新居に戻ると昨日と同じ感情が私の中で根を広げ始めるのである。結局、昨日と同じような感情に締め付けられ、将来への不安で押しつぶされそうになりつつも、ワインを流し込みなんとか眠りに着いた。

 

 

 

4月13日(金)

朝食は、焼いた食パンを食べられた。少しずつ生活自体は標準値に近づいてきていると思えた。

 

この日も、街に出ては帰るの繰り返しで、生活用品を揃えた。買い物中は、地方出身でありながらも東京のシンボルのひとつといっても過言ではないサニーデイ・サービスをずっと聴いていた。DANCE TO YOU収録の『莓畑でつかまえて』の歌詞が今の自分にはグッときすぎて泣きそうになりながら、吉祥寺のUNIQLOで靴下を買った。吉祥寺のUNIQLOはテーマパークのようで、ここにも東京を感じた。

 

昼御飯は、スーパーで買おうと思い、吉祥寺駅周辺をグルグルしていたところ、関西人には馴染みが深いであろうスーパーであるライフを見つけた。母親の実家が大阪市内であり、見慣れた四つ葉のクローバーの看板にに誘われるようにして店内に入った。とりあえず、おにぎりコーナーを見ていたのだが、陳列棚に金額の表示が無い。パッケージにも値段のシールは貼っていないようだった。SEIYUではおにぎりが68円であることから、玉出程ではないが、格安のイメージがあるライフでも80円は切るだろうと思い金額を確認することもなく、2つのおにぎりと39円のうどん一玉も手に取りレジへ向かった。そこで、想定では200円以下となると思っていたのに、小計は246円となっていた。オニギリはSEIYUで買いなおしたいと思ったが、「やっぱり買うのやめます」と言うには苦しさしかないので会計を済まして、自宅へ戻った。おにぎりを食べる前にパッケージを見たところ小さく金額が記載されていた。自分の爪の甘さにまたまた落胆しかけたが、「コンビニよりは安いしよくやったぜ、俺。チャーハンおにぎり、バリ旨かったしいいじゃねえか」と自分に言い聞かせ納得させた。

  

夕方にはニトリでベッドのフレームとマットレスを買った。寝袋地獄からいち早く脱したいので、翌々日には手元に欲しいとおもっていたが、なんとニトリマットレスは持ち帰り可能であった。スプリングがあるにもかかわらず、画像のような直方体に収まっているのである。


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 箱からマットレスを取り出し、外のビニール袋に穴を開けると、「シューーーッ」と物凄い勢いで空気を吸収し、「ベコッ、ベコッ」と音を立てながら膨れ上がった。この膨らみ方を形容するなら、北斗の拳ケンシロウの胸筋膨張シーンか、サンシャイン池崎の胸筋膨張シーンのどちらかがふさわしいだろう。マットレスなんて買う機会はまたとないと思われるので、動画で保存しておきたかった。
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夜は、大学のサークルの後輩に「今晩会おうよ」と誘った。この後輩は、今年の4月より新社会人となっており、勤務地が首都圏であることから上京している。以前、部屋探しについて来てもらったのだが、その時は「東京に来たもののとてつもない孤独により、自分の選択に後悔しかない」と話していた。また、「お金が無くて初任給までも厳しい」とも言っていた。部屋探しの件のお礼の意味合いで、私も余裕はないが多少なら貸せるお金もあるので、少し貸してあげる話を持ちかけようと思っていた。また、正直なところ、前会った時の後輩と同じようで孤独感に打ち負かされそうなので、参考になる話を聞きたかったのもある。後輩の最寄り駅が私の自宅から自転車で10分ほどということもあり、半ば力ずくであるが、後輩に連絡して、仕事終わりで駅に着く頃合いを聞き出し、駅へと押し掛けた。

 

合流すると、後輩は慣れない職場環境で疲弊したようだったので、とんかつ屋に入りご馳走した。基本的には一人暮らしノウハウ談義が会話のメインだった。その中で、私は「前言ってたように、一人での孤独感すごいね!!早速上京を後悔しちゃったよ」と話すと、「僕も前は、辛かったですけど、一週間で慣れましたよ。今は余裕です」と逞しい限りの返答をもらった。その言葉は、妙に説得力があり私はこの時に完全に孤独感が吹き飛んだ。実際暗い部屋に帰っても何も感じなくなっていた。むしろ克服した勝利感があったかもしれない。また、後輩は少し高めの家賃の部屋を借りており、彼は物件選びに後悔の念があるようだった。私は正直、彼は無計画なタイプなのだと思い込んでおり、生活できているか多少心配をしていた。しかし、「家賃はどうすることも出来ないので、今は節約でカバーするために思考をめぐらせている」とのことであり、なかなかの生活力を身に付けていた。

 

明日、家具等を一緒に見に行く約束をして、その日は解散した。

 

 

 

4月14日(土)

昨日あった後輩と合流し、我が家でヒガシマルうどんスープを用いたうどんをふるまい、吉祥寺散策して、そこから、立川のIKEAにも行った。

この日も、生活必需品を揃えることに勤しみ、珪藻土バスマットや、照明器具としてテーブルランプを購入。暖色のテーブルランプは落ち着いた空間を演出してくれるので、多少暗いが天井の照明器具は必要ない気もしてきた。この日は後輩の家の近くの銭湯に行き解散した。

 

 

 

4月15日(日)

この日は、父親の単身赴任で住んでいるマンションへ行き、炊飯器、米びつ、T-falのケトルもらう約束をしていた。しかし、もって帰るのは大変だろうから宅配便で送ることにしてくれた。そのため、父親との会食のためにマンションへ向かった。

 

 交通費は極力避けたい出費であることもり、20キロ以上離れた父親の自宅まで自転車で向かった。自転車は名古屋では中々乗ることが無くなっていたこともあり、ペダルに力を加える度に加速度をあげる感覚が新鮮で気持ちがいい。車で出掛けた時も多少なりの達成感はあるものだが、動力源は車のエンジンであり、自身の力とはいえない。それに対して、徒歩や自転車は動力源が自分自身なので、目的地に到着したときのホッとした感覚は他の交通手段とは非にならない。ガードレール内側の歩道を走っていたところ、正面40メートルほど先、歩道の真ん中からおじいさんがこちらへ向かって歩いていた。おじいさんも私も、各々進行方向に進み距離は縮まっていく。ある程度近づいてきた時には、あまり背中も曲がっておらず健康的なおじいさんということがわかったので、私は右にそれた。おじいさんは道のど真ん中から左に一歩ほどずれてくれたら、何も問題なく通過できそうだったが、おじいさんは退こうとしない。こちらに気付きながらもどく意思がないようだ。おじいいさんが真ん中から動かなくても、ギリギリ交わせなくないと思い、私は車体を更に右に寄せ、ガードレールギリギリで走った。そして、すれ違いざまに、おじいさんは車道を指差しながら「どこ走っとるんや、こっちやろうが」と私に怒鳴った。確かに車道には自転車通行を促すようなペイントがされている。私が知らなかっただけでおじいさんの言い分は間違っていないと納得した。また、東京に来てから良くしてくれる優しい人とばかりと話していて、うかれぽんちであったため、喝を入れられたようで少し気持ちがしゃんとした。「よそ者でルールが分からなくて悪りいな、じいさん」と思い、そこからは車道を自転車で走った。ただ、想像通り、危険がいっぱい。万が一右に転んだら確実に轢かれる。排水溝も危険であるし、避けようとして右に少し寄っただけでも轢かれる懸念がある。路上駐車の弊害もモロに受ける。自転車にはバックミラーが無いので後ろを振り返って安全確認をしなければならないが、後ろを振り返るのも十分危険だ。東京は車を持つのが難しく、自転車が重宝する地域だからこそ、もう少し自転車の走る道の安全性を確保して欲しいものだ。

 

 父親の部屋は綺麗でありつつも生活感があり、効率性を鑑みた物の配置を感じた。部屋の隅に開けっ広げとなっているダンボールがあった。この整理整頓された部屋には似つかわしくないと思い、中を見ると炊飯器や米びつ、ケトルが入っていた。私へ送ってくれる為のものだったのである。また、ダンボールの形が崩れない為なのと、緩衝材の役割の為ということもあると思うのだが、ポテトチップスや、カップラーメン、他にも一人暮らしを始めたばかりの私には役に立つようなフックや物干しハンガー等の生活用品を詰め込んでくれていた。ありがたい次第である。東京では自力でやりきりたかったが、親の助けには頭が上がらない。

ダンボールをコンビニに持ち込み、発送手続きを完了させると、夕飯に焼肉へ行って、そこから一度父親のマンションに戻り解散した。

 

帰りはドラマ版『下町ロケット』のロケ地である桂川精螺を見た。ドラマを観てないし、池井戸潤の原作も読んでいないが、「いや~、ここが物語の舞台なんだよな。聖地巡り完了~」と念願の地にやっとの想いで足を運んだファンの疑似体験をしたような気になっている。もちろん、友人にも「俺、この前下町ロケットのロケ地巡ってきたわ」と鼻高々に話した。私のにわか精神には自負しているが、改めて文章にまとめると、この憎らしいだけと思っていた低俗な精神構造は、中二病発症気味のおっさんに類似しているように感じたと同時に、可愛げさえもあると俯瞰できたような錯覚にも陥るものだ。

 

あとは、福山雅治の『桜坂』のモデル地といわれている桜の名所にも寄った。
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4月も中旬なので桜は散ってしまっていた。歩道橋の赤い欄干は風情があると思ったが、桜自体だと、目黒川とかの名所のほうが豪華だし、もっと言うなら名古屋の実家付近のほうが愛着があるので桜シーズンは実家に帰りたいものだ。


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目黒川の桜

 

他には有名な駅だしと思い、田園調布駅、双子玉川駅の外観を観て帰った。ROOKIESのニコガクの印象があったのだが、実際行ってみたところ富豪感バリMAXじゃねえか。

 

 

 

4月16日(月)

この日も変わらずに吉祥寺駅へと向かい、生活用品を購入した。以前よりは部屋が様になってきていることもあるので、読書にかなりの時間を割けた。飯はもやしばっか。

 

 アパートのドアを開けるたびに感じていた排他的な空気は一切感じることが無くなった。ドアの内側の視界に入る全ての物は自分で購入したり、貰ったりしたものであり、私の許可によって部屋の中に存在する。それらの物の配置も私の意思によるものである。食器用洗剤やスポンジ、トイレットペーパーのストックの位置も、全て私の決めたことである。それらが生み出す空気は私の支配下にあり、部屋の全てを牛耳っているような自己陶酔さえ私の中で芽生え始めた。まだまだ不便さが勝っているものの実家の自室以上に居心地は良くなりそうだ。

 

 

 

4月17日(火)

府中にて『クソ野郎と美しき世界』を鑑賞。2週間限定とのことだが、キャストが豪華すぎる。香取慎吾主演編でRojisというバンドのギターとして江本さんは出演していた。また、稲垣吾郎主演編ではピアニストである稲垣吾郎の指の動きに馬場ふみかが感じるという演出があり、キス我慢選手権のフットボールアワー後藤のZO-3ギターをよぎらせてしまった。オフェンシブな横山美雪が好みだが、キュート感の強い横山美雪も素晴らしいしな。あのZO-3ギター欲しい。草なぎ剛は、優しいチョケモードの時も好きだが、クールで暴力的な悪い奴の時のかっこよさはたまらない。

 

映画の後は再びIKEAに行った。前回行った時に目星を付けていたラックを購入。キチン周りに設置したいが組み立てが面倒なのと、ダンボールごみが多すぎてこれ以上出したくない気持ちから、とりあえず放置。

 

 

 

4月18日(水)

生活に慣れてきて特記事項が無くなってきた。新鮮な感覚は薄れてきた。夜は阿佐ヶ谷のバーへ行った。以前ここで会った方々に覚えてもらえていた。それが純粋にうれしかったし、この日も楽しく飲めた。

 

 

 

4月19日(木)

原則的には昼御飯は多くても200円で済ませたいと思っている。そこ日の昼飯はストロベリーマックシェイクMサイズ200円となった。昨日飲んだカフェオレマックシェイクが美味しかったから無くなってたの悲しかった。マックではひたすらに読書をした。

 

 

夜は中原昌也Hair Stylistics)+宇波拓のライブを観に行った。ライブの時間は20時~22時である。ノイズの単独ライブは初めてであり、客層に不安があったが、外見では特に目立った人はいなかった。ただ、話してみるときっと趣のある人達なのだろう。

 

 時間はオンタイムで始まった。音は轟音ではなく、耳に負担の無いような優しい音量であった。音は止まること無くなり続ける。アッパーなジャンルの曲を聴いたらテンションが上がったり、暗いアンビエントを聴いたら気持ちを落ち着いたり、ジャンルによってある程度気持ちの動く方向が決まるように思うが、ノイズにはそれを指し示すベクトルが定まっていないように思う。ノイズはその時に自分の意識の有無は問わずして、本当に感じていることをより深く考える時間を提供してくれるような気がするのである。私は、上京してからの目まぐるしい感情変化を振り返り続けていたが、途中からは読み進めていて佳境に差し掛かっている安部工房の『砂の女』が邪魔をしてきた。与えられた椅子に座り、終わりの見えないノイズ音が鳴り続けている状況が、砂の世界に閉じ込められた「男」のように感じられた。皮膚の間に入り込むのは砂ではなく、ノイズ音の粒子ではあるが。また、ノートにメモを取りながらライブを見ている女性客がいた。顔までは確認できていないがそれがやけに魅力的に見えた。

 

ライブ中に携帯でライブの写真を撮っている客もあったので、携帯を出すのはご法度ではないようなので、ライブ中に何度か携帯で時間を確認した。途中で何度かMC、あるいは休憩が入るかと思っていたが、時間の経過を何度か確認しても音がやむことは無い。本当に終わりがあるのか不安になっている私を気に留めることも無く、同じような音が延々と続く。終了時刻の22時に近づいた時には、私は終わり方を想像していた。多少ここでは中原昌也は話すのであるか、あるいは無言で立ち去っていくのかもしれない。想像を働かせているうちに音は止んだ。そして「お疲れ様でした。」と中原昌也の声が続いた。他に言葉はない。ライブの終わりを「お疲れ様でした。」の一言で締めくくる潔さとクールネスに痺れた。

 

 

そこから夜行の高速バスに揺られ、実家へと向かったのであった。この日はハライチのターンはスペシャルウィークであるので生放送(時の共有スペシャル)だった。高速バスでリアルタイムハライチのターンを聴いた。岩井さんの軽快なトークと、スペシャルウィークならではの悪ノリが素晴らしく、澤部のおっきい声で繰り返すというツッコミも岩井さんの面白みを倍増させた。リアルタイムで聴くジングルには興奮した。疲れもあったので、ラジオが終わるとすぐに寝た。

 

 

名古屋駅に着いたときには、既に懐かしさを感じた。もう私は東京の人間だ。

 

 

 

まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、上京し生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな。では、失敬。*1

 

 

 

*1:最後は太宰治の『津軽』の終わりかたを模したのだが、そもそもこれは紀行じゃない。それとこんな自慰的な記事読むやついねえから、読者なんかいねえよ。

オールスター後夜祭

 オールスター感謝祭は全く観ていないが、オールスター後夜祭は全部観たのでその所感。

 

 まずは、かずみん(高山一実乃木坂46)の荒削りでありながらの圧倒的魅力について。荒削りと、多少否定的な言葉を入れたことには、回答が変わってしまうような問題の読み間違いや、「レディゴー」と「アンサーチェック」を間違えてしまうところ等があったためである。しかし、ミスを指摘しておきながらも、これは経験ですぐに解消できる軽微なものであり、むしろ成長の余地と私は捉えている。ひな壇の芸人への気遣いと敬意がありながらも存在感を発揮している点や、常にみていて楽しくなるような笑顔(目が笑わない系のつまらない美人とは大違い)をしている点が素晴らしく、発登板にしてM-1慣れしている上戸彩のマスコット感に類似したものがあったように思う。

 

 また、オールスター感謝祭でいうと島崎和歌子ポジションであるが、実際対比すべきはマスパンのポジションだと感じた。正直、難攻不落と思われるマスパンのポジションを危ぶませる存在が乃木坂メンバーから誕生するとは思ってもみなかった。この嬉しい驚きから、かずみんの乃木坂卒業後の希望を感じられる。乃木坂メンバーといる時では本領発揮しづらいアビリティが目を覚ましたと思われるので、今後は、藤井健太郎Pの番組に頻出している芸人たちの下品なイジりにどう対応していくかを見てみたい。あと、顔薄い女性サイコー。

 

 

 

  次に、ガチ相撲トーナメント出場のコーナーについて。ここで一番グッときたのはあかつの気合いとかっこよさである。終始、カメラに向かってチョケたりすることがなかった。ジョシュ・バーネットが登場時に脱ぎ捨てたTシャツを蹴り飛ばすというパフォーマンスからしてシビれる。土俵上での所作や、すもササイズとは対極の表情に「芸人としてのかっこよさ」を感じた。これはクソしょーもないイケメン俳優やらがかっこつけたりするのとはわけが違い、めちゃイケ最終回での極楽同盟のダンプ山本のかっこよさを想起させた。結果は、あかつが、想像以上に瞬殺されて世知辛さも感じたが、相撲芸人といいつつも相撲経験はないので仕方ない。

 あと、謎の挑戦者の正体は、バラエティーの展開的に名の知れた元力士が登場するのだろうと想像していたが、まさか、大砂嵐とは。やはり、藤井健太郎の番組は一筋縄ではいかず、視聴者の想像の一歩先を行く。

 

 

 

 結局謎なのだが、新道さん(馬鹿よ貴方は)はなんだったんだ。

 

 あと、youtubeに番組フルであがってたよー。

zepp 名古屋 くるり

退社予定の会社の同期に誘ってもらい、くるりのライブに行った。 

 

私は、Zeppクラスの大きなライブハウスにはあまり出入りしたこと無いので、「金のかかったライブって豪華ですげー」という中高生的な感動が第一にあった。それは小学3年生の時に初めてプロ野球観戦した時の感動に近しい。その時は試合の結果どうこうよりも、レオ・ゴメス(中日の助っ人外国人選手)のバットが折れたときに一番興奮した。演奏中に岸田茂のギターが折れたら会場はより沸いただろうなー。(カート・コバーンジミ・ヘンドリックスのようにギターを故意に折るのではなく、折れることが大切だと私は捉えている。例えば、演奏中にうっかり転んじゃったりとか、弦を押さえる力が強すぎてネックを握り潰したとか)

 

今回のライブで演奏力や機材の良し悪しのみならず、照明もライブの印象を大きく変えるものだと感じた。本ライブでは、全体的にオレンジ基調のライトが多く、くるりの曲にマッチしていた。曲の展開に合わせて照明にも変化がつけられており、プロの業を感じた。ただ、私の思い過ごしかもしれないが、東京の照明が半拍ずれている箇所が1つあったように思う。それは私の中でアンジャッシュピーポくんのネタがリンクした。

www.youtube.com

ついでに音響のみならず、生放送でテロップ出す仕事の大変さも容易に想像できることを証明した動画を添付する。

www.youtube.com

 

 

 

セットリスト的には、エスニック要素や、こってこてペンタソロのある曲よりも、東京、虹、ワンダーフォーゲルのような認知度の高い曲の方が楽しめた。正直、聴いたアルバムは6枚目のNIKKIで途絶えており、私は熱心なくるりファンではないことがあるのかもしれないが。

 

潮騒

3月20日、私が家を離れることになるため、家族で最後の旅行になるであろうという事で、伊良湖岬(田原市渥美半島)に旅行に行った。

 


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天候が悪く、散歩にも行けなかったが、飯のレベルが今まで口にしたことない極上レベルだった。店のこだわりで食材は基本地産地消とのこと。

 

三島由紀夫潮騒を読破してからまた、観光に来たい。

 

あと、ずっと間違えていたのだが「伊良湖岬」の読み方は、「いらこみさき」ではなく「いらごみさき」のようだ。

気分

3月12日(月)、退職願を人事に提出した。そして、翌日である3月13日(火)より3泊4日で東京に滞在した。

 

 

3月13日(火)

昼行の高速バスにて、名古屋から新宿へ。新宿に到着するとすぐに、船橋駅へ向かい、レンタカーを借りて笠森霊園を目指した。目的はFishmans佐藤伸治の墓参りである。

 

私が佐藤伸治の墓参りをしたいと思った理由には、Orange収録の「気分」という曲が私の退職という決断を助長してくれたことがある。

勇気のカケラもみせずに

死ぬのは誰ですか

大きな声も出さずに

死ぬのは誰ですか

仰々しく説教じみた応援ソングとは違い、嘲るような歌いまわしに佐藤伸治の人となりを帯びた説得力が際立つ。安定志向の私にとって退職は大きな決断であったが、真面目につまらない生活を続ける方が馬鹿げていることに納得できたのはこの曲のお陰である。しかしながら、現状将来のことは考えてないので今後はどうなることやら・・・。

 

 

大きなロスをすることなく笠森霊園に着いた。笠森霊園は車通りの少ない閑静な立地であった。到着時には既に16時をまわっており、閉園の1時間を切っていた。事前に調べていた区画番号を元に佐藤伸治の墓へ向かった。

 

墓石には「ひこうき」の歌詞が刻まれている。


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霊園の遠い上空に飛行機が飛んでいたことが印象的であった。


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 墓の隣にはクーラーボックスのような箱が設置されており、中には写真や、墓参りをした方々の佐藤伸治に対するメッセージノートがあった。ノートを開くと、そこには私の訪問日と近い日付のメッセージもたくさん記入されていた。 亡くなって20年弱が経ってもなお、墓参りをするファンがいることに佐藤伸治の魅力の再確認が出来たように思う。また、私が小学2年生の時に佐藤伸治は亡くなっており、私がFishmansを聴き始めたは、随分と時間が経ってからであるが、亡くなってからもファンを獲得しており、佐藤伸治がいたころのFishmansが終わらないところに気分の歌詞の下記部分がリンクし、芸術の永遠性を感じた。

 

さんざん無理して手に入れたこの歌は

世界の果てが見えても

止まりはしないさ

 

閉館時刻が迫り霊園を離れるとまず、Fishmansの気分を聴いた。墓で泣いていたのが、泣き止んでいたのにまた復活してしまった。また、帰りの進路は北西の方角であったことと、良好な天気が起因し、夕陽に向かって車を走らせ続けることができた。車内BGMにしていたOrangeも合まって感極まり爆泣きしながら運転をしていた。しかし、私の心のレコードプレイヤーは途中からTHE ALFEEの「太陽は沈まない」に針を落とした。ショムニFINALやってたころは小学生だったなー。

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夜は友人と新宿の中華料理へ。東京一人暮らしノウハウについて色々聞いた。境遇に近いものがあり参考になった。あと、無表情で淡々と北京ダックの肉を削いでいる料理人の顔がクールだった。

 

 

食事を終えると解散し、高円寺にある小杉湯へ。サウナが無いため、交互浴を実践した。正直、最初は交互浴をなめていた部分があったが、想像をはるかに超えてきっちりと整えた。また、常連と思われる客がそろいもそろって交互浴をしていたのだが、小杉湯には浴場や、パンフレットでの交互浴の案内があったので、それが奏功して顧客の交互浴の実践に繋がっているのではないかと想像した。


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その後は、阿佐谷のrojiへ徒歩で向かった。1時閉店でありながらもかなりオーバーして飲ませてもらえたし、東京面白話をたくさん聞けた。東京はやはり素晴らしい。また、その時いらした、お客さんに何杯もおごっていただいた。その方には下ネタ中心にいろいろ伺ったが、五反田は基本イヤらしいエリアとのこと。あと、泉谷しげると、よくわからないレコードを購入した。

 

 

3月14日(火)

下北沢をブラブラした。昼飯はカレー屋のyoungへ行った。お洒落なだけではなく、激ウマかった。

 

夜は新橋の有薫酒蔵という、全国各地の高校よせがきノートがあることで有名な居酒屋で呑んだ。私の高校もあった。呑んでからは東京タワーまで歩いた。東京タワーはいつみてもかっこよくて泣けた。


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3月15日(木)

吉祥寺を友人と散策。この友人は名古屋出身ということもあり、この日の会話の7割は呂布カルマについてだった。昼飯は名古屋のコンビにでもカップラーメンが販売されている「ぶぶか」へ行った。食後には古本屋の百年へ。東京に住み始めたら百年は通いたい。

 

晩飯は品川で焼き肉に行った。宿は錦糸町楽天地スパへ。日本サウナ祭りで無料券をもらっていたので、深夜追加料金のみで宿泊し、ビールもいただけた。タダのビールが一番うまい。一時間毎にロウリュサービスがあるのはとても珍しい。受付や熱波師、レストランの店員の方の接客の丁寧さと、衛生面の徹底的なケアが素晴らしかった。

 

 

3月16日(金)

300円ということもあり、楽天地スパでトーストのセットを食べた。青春18きっぷで名古屋に帰った。

 

 

今池 is mad town

今池駅8番出口すぐのフクロウカフェに行った。

 


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顔が一番タイプ。

 


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一番狂暴で、一番好きになった。

 


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この大型のフクロウの体重は2キロほどとのことであり、ずっと持ってるのはキツい。

 



日本サウナ祭り

2018年3月3日、最寄り駅から出ている始発の電車に乗るために朝5時に起床した。始発の電車に乗るのはいつ以来かも覚えていないくらいであり、新鮮な気持ちを抱きながら身支度をして、駅へ向かった。陽は昇っておらず空は真っ暗であったが、3月2日は満月であったらしく、西の方角にあまり欠けていない大きな丸い月が浮かんでいることを認めた。夜明け前の月に神秘性を感じ、今日は特別な日であることを再確認した。そう、この日は長野県で開催される「日本サウナ祭り」への参加というハレの日なのである。



 

 

 

 

現地までは公共交通機関で向かったのだが、コストをできる限り抑えるべく、青春18切符を利用した。そのため、自宅最寄り駅5時33分発の始発に乗車したが、小海駅到着は昼過ぎとなった。小海駅ではヨモギー氏がバスの時刻表を確認しているところに遭遇した。サウナレジェンドの一人が自分の目の前にいることに困惑すると同時に、「写真を撮ってもらいたい!!」という田舎者的感情が渦を巻いたが、当然私のような雑魚カーストではそのようなことを依頼することはできない。ヨモギー氏のお連れの方が昨年の日本サウナ祭りのトートバッグをお持ちだったので「去年も参加されてたんですね~」と声を書けることで精一杯だった。この時にも「初対面でなんなんだこのキモヲタは!!」と内心思われた気がするので今さらながら申し訳なさを感じる次第である。

 

 

 

 

小海駅からはバスにて現地へ向かった。会場に到着し、受付後、身支度を済ませると、まずはテントサウナに入った。ある程度汗をかき、念願の湖へ向かった。パンフレットには水温0~2℃と記載があるが、アゲマックスのテンションに任せて水温に臆することなく湖に入った。しかしながら、心の準備をしなかったことをすぐさま後悔した。冷たいよりも痛みが先行したように感じる。この痛みがととのう為には一番の近道なのだろう。


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そして、外気欲をしていたところ、冷水に浸かっている時とは違った痛みが足にあることに気付いた。左足のふくらはぎを見ると小さな木の枝の破片らしきものが刺ささり出血していた。流血サウナによって新たな快楽の発見が出来るのではないかと興奮したが、私もコンプライアンスにうるさい社会の片隅で生きているので、絆創膏を傷口に張り、他のサウナーに対するモラルハザードは未然に防いだ。

この負傷は、湖の水が会場内のサウナーよりサウナ愛、サウナへの熱意不足である私の不甲斐なさを感知し、意思を持って私に攻撃してきたのだと思った。チキン野郎である私は当然のごとく湖に恐怖を抱き、それからはプール水風呂にしか入っていない。ただ、プール水風呂も水温は今までに入ったこと無いレベルで低く、容易に整える環境があることには変わりは無かった。(湖に意思があると突然言い出したのは、前日にタルコフスキー監督のSF映画である「惑星ソラリス」にて海に知性があるという描写があり影響されたことに起因する。覚えたての難単語を会話にぶち込みたがる馬鹿中学生の発想と大差ない。)

 

 

 18時からはサウナイトが開催された。サウナレジェンドの方々のトークを楽しんでからは、プレゼントタイムとなった。受付番号での当選者が商品を貰えるというコーナーの予定であったようだが、商品の莫大な数と、タイトなタイムスケジュールにより、商品は投げてばらまかれることとなった。その様子は歴史の教科書に掲載されていたええじゃないかの挿し絵そのものだった。


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サウナイトが終わると、多くの来場者が会場を後にしようとしていたため、ここが絶好のタイミングと思い、サウナへと急いだ。目論見通りで並ぶことなく様々なサウナを独占することができた。ここでサウナトースターを占領できたことは本当に大きい。しかし、夜にもなると、水風呂の残酷さに歯止めが効かなくなっていた。

 

 

 

21時になると予約していたタクシーに乗り込み、少し離れた宿へ向かった。運転手の方は少しよろよろしたおじいさんのようだった。走行中に、タクシーで何かを轢いてしまったようであり「ガクッ」と揺れた。運転手は、ヘラヘラした様子で「猫やっちゃったかもな~~、へへへ~」と言った。田舎ならあるあるでしょ~と言わんばかりのテンションで言われたが、我々乗客の気分はお察しの通りである。しかしながら、翌日小海駅にてその運転手がいたため、昨日送っていただいたお礼をしていた時に「そういや、昨日送ってった帰りに、猫の死骸なかったから猫じゃなかったかもな~~へへへ~~」との言葉を頂戴した。このじいさんヘラヘラしすぎやろと思いつつも、猫を轢いたかもしれないという状況下でもヘラヘラできるというメンタリティには敬意を払うべきかもしれないと考えを改めた。

 

 

 宿では本イベントで知り合ったサウナーの方と、ビールを呑みながら談笑した。その宿には雛人形が飾ってあり、今日が3月3日、ひな祭りであり、私の母親の誕生日であることを思い出した。本イベントで完全に忘れていた。わりいな、かあちゃん

 

 

 

3月4日は、昨日より人が少なく、待ち時間なくサウナに入れる環境にあったが、別館のとくさし喫サ店に長時間滞在してしまった。とくさし氏や、他のサウナーの方々とX談、いや、違う、Z談、いや行き過ぎた、そうそう猥談に花を咲かせてしまった。そこでは、「男性の射精時の表情に一番近いのは、シェイカーを振っている時の表情である」という有益な情報を仕入れることができた。私は現状ノンケであり、今のところゲイに目覚める予定もないので、今後バーテンダーがシェイカーを振っているところに居合わせたら、目を伏せるように心がけようと思う。


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せっかくなので記念に自分の写っている写真がほしいと思い、一緒に来ていた後輩に写真を撮ってもらうように依頼した。後輩は、「はいチーズ」の代わりに「整った」と言ってシャッターを切った。何気ない所だがセンスを感じた。今後は私も写真をとるときは「整った」と言ってシャッターを切りたい。

 

また、このことは、「ととのった」というワードについて改めて思考を巡らせる機会を創造した。私は「ととのった」には「karaoke」や「judo」、「tsunami」、「mottainai」等と同様に「totonotta」という日本発の国際的ワードとして肩を並べられる可能性を感じている。「ととのった」に含まれる「っ」には、「おっぱい」に含まれる「っ」のような軽快さがある。私はお尻が好きであり、胸に強い関心はないのだが、「お尻」と発音するより「おっぱい」と発音したときの方が心が踊る。「ととのった」は、「おっぱい」と同様に声に出したくなるような言葉としての気持ちよさがあると私は思料しているのである。単語の意味合いのみならず、発音の魅力から、「ととのった」は世界に広がり、本場フィンランドの方々が「totonotta!!!」と湖畔に響き渡る声を出すことはそう遠くない未来だと容易に想像できるはずだ。