デカダンス ダンス

地獄詩人ヘルポエマーによる地獄詩のブログ。

日本サウナ祭り

2018年3月3日、最寄り駅から出ている始発の電車に乗るために朝5時に起床した。始発の電車に乗るのはいつ以来かも覚えていないくらいであり、新鮮な気持ちを抱きながら身支度をして、駅へ向かった。陽は昇っておらず空は真っ暗であったが、3月2日は満月であったらしく、西の方角にあまり欠けていない大きな丸い月が浮かんでいることを認めた。夜明け前の月に神秘性を感じ、今日は特別な日であることを再確認した。そう、この日は長野県で開催される「日本サウナ祭り」への参加というハレの日なのである。



 

 

 

 

現地までは公共交通機関で向かったのだが、コストをできる限り抑えるべく、青春18切符を利用した。そのため、自宅最寄り駅5時33分発の始発に乗車したが、小海駅到着は昼過ぎとなった。小海駅ではヨモギー氏がバスの時刻表を確認しているところに遭遇した。サウナレジェンドの一人が自分の目の前にいることに困惑すると同時に、「写真を撮ってもらいたい!!」という田舎者的感情が渦を巻いたが、当然私のような雑魚カーストではそのようなことを依頼することはできない。ヨモギー氏のお連れの方が昨年の日本サウナ祭りのトートバッグをお持ちだったので「去年も参加されてたんですね~」と声を書けることで精一杯だった。この時にも「初対面でなんなんだこのキモヲタは!!」と内心思われた気がするので今さらながら申し訳なさを感じる次第である。

 

 

 

 

小海駅からはバスにて現地へ向かった。会場に到着し、受付後、身支度を済ませると、まずはテントサウナに入った。ある程度汗をかき、念願の湖へ向かった。パンフレットには水温0~2℃と記載があるが、アゲマックスのテンションに任せて水温に臆することなく湖に入った。しかしながら、心の準備をしなかったことをすぐさま後悔した。冷たいよりも痛みが先行したように感じる。この痛みがととのう為には一番の近道なのだろう。


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そして、外気欲をしていたところ、冷水に浸かっている時とは違った痛みが足にあることに気付いた。左足のふくらはぎを見ると小さな木の枝の破片らしきものが刺ささり出血していた。流血サウナによって新たな快楽の発見が出来るのではないかと興奮したが、私もコンプライアンスにうるさい社会の片隅で生きているので、絆創膏を傷口に張り、他のサウナーに対するモラルハザードは未然に防いだ。

この負傷は、湖の水が会場内のサウナーよりサウナ愛、サウナへの熱意不足である私の不甲斐なさを感知し、意思を持って私に攻撃してきたのだと思った。チキン野郎である私は当然のごとく湖に恐怖を抱き、それからはプール水風呂にしか入っていない。ただ、プール水風呂も水温は今までに入ったこと無いレベルで低く、容易に整える環境があることには変わりは無かった。(湖に意思があると突然言い出したのは、前日にタルコフスキー監督のSF映画である「惑星ソラリス」にて海に知性があるという描写があり影響されたことに起因する。覚えたての難単語を会話にぶち込みたがる馬鹿中学生の発想と大差ない。)

 

 

 18時からはサウナイトが開催された。サウナレジェンドの方々のトークを楽しんでからは、プレゼントタイムとなった。受付番号での当選者が商品を貰えるというコーナーの予定であったようだが、商品の莫大な数と、タイトなタイムスケジュールにより、商品は投げてばらまかれることとなった。その様子は歴史の教科書に掲載されていたええじゃないかの挿し絵そのものだった。


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サウナイトが終わると、多くの来場者が会場を後にしようとしていたため、ここが絶好のタイミングと思い、サウナへと急いだ。目論見通りで並ぶことなく様々なサウナを独占することができた。ここでサウナトースターを占領できたことは本当に大きい。しかし、夜にもなると、水風呂の残酷さに歯止めが効かなくなっていた。

 

 

 

21時になると予約していたタクシーに乗り込み、少し離れた宿へ向かった。運転手の方は少しよろよろしたおじいさんのようだった。走行中に、タクシーで何かを轢いてしまったようであり「ガクッ」と揺れた。運転手は、ヘラヘラした様子で「猫やっちゃったかもな~~、へへへ~」と言った。田舎ならあるあるでしょ~と言わんばかりのテンションで言われたが、我々乗客の気分はお察しの通りである。しかしながら、翌日小海駅にてその運転手がいたため、昨日送っていただいたお礼をしていた時に「そういや、昨日送ってった帰りに、猫の死骸なかったから猫じゃなかったかもな~~へへへ~~」との言葉を頂戴した。このじいさんヘラヘラしすぎやろと思いつつも、猫を轢いたかもしれないという状況下でもヘラヘラできるというメンタリティには敬意を払うべきかもしれないと考えを改めた。

 

 

 宿では本イベントで知り合ったサウナーの方と、ビールを呑みながら談笑した。その宿には雛人形が飾ってあり、今日が3月3日、ひな祭りであり、私の母親の誕生日であることを思い出した。本イベントで完全に忘れていた。わりいな、かあちゃん

 

 

 

3月4日は、昨日より人が少なく、待ち時間なくサウナに入れる環境にあったが、別館のとくさし喫サ店に長時間滞在してしまった。とくさし氏や、他のサウナーの方々とX談、いや、違う、Z談、いや行き過ぎた、そうそう猥談に花を咲かせてしまった。そこでは、「男性の射精時の表情に一番近いのは、シェイカーを振っている時の表情である」という有益な情報を仕入れることができた。私は現状ノンケであり、今のところゲイに目覚める予定もないので、今後バーテンダーがシェイカーを振っているところに居合わせたら、目を伏せるように心がけようと思う。


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せっかくなので記念に自分の写っている写真がほしいと思い、一緒に来ていた後輩に写真を撮ってもらうように依頼した。後輩は、「はいチーズ」の代わりに「整った」と言ってシャッターを切った。何気ない所だがセンスを感じた。今後は私も写真をとるときは「整った」と言ってシャッターを切りたい。

 

また、このことは、「ととのった」というワードについて改めて思考を巡らせる機会を創造した。私は「ととのった」には「karaoke」や「judo」、「tsunami」、「mottainai」等と同様に「totonotta」という日本発の国際的ワードとして肩を並べられる可能性を感じている。「ととのった」に含まれる「っ」には、「おっぱい」に含まれる「っ」のような軽快さがある。私はお尻が好きであり、胸に強い関心はないのだが、「お尻」と発音するより「おっぱい」と発音したときの方が心が踊る。「ととのった」は、「おっぱい」と同様に声に出したくなるような言葉としての気持ちよさがあると私は思料しているのである。単語の意味合いのみならず、発音の魅力から、「ととのった」は世界に広がり、本場フィンランドの方々が「totonotta!!!」と湖畔に響き渡る声を出すことはそう遠くない未来だと容易に想像できるはずだ。