一月中旬

試験が終わり一段落した。一月中旬は年末年始とのギャップもあるのに加えて、寒さが増していくこと以外季節的な変化もないので魅力のない時期に思う。

 

大きなイベントもないのでサウナについて書きたいと思う。先日、平日休暇があったので和合温泉湯楽に行ってきた。平日の昼間であれば空いてると思ったが、予想に反して結構人がいた。ほぼご老人ではあったが。平日の昼間なので、まわりが働いている中、銭湯にいるっていうイリーガルさもあっていつも以上に心地よかった。昼のセント酒の「申し訳ない」ってのに近い感情だとは思うけど、イリーガルさが桁違いなので仕事中に行くとより素晴らしいのではないのかと憧れてしまう…昼のセント酒はドラマティックで数奇的な事象が一切無いので、同じ事を現実で出来るのではないか…?と錯覚してしまうところが罠だと思う。現実に実行は不可能だ。休日の前日に仕事後ウェルビーをキメる合法的至福で代替するしかない。あと、戸次重幸だから見てたけど他の役者だったら全話は見なかっただろうな。

サウナでは水戸黄門の再放送をやっていた。東幹久と的場浩司タッグがかっこよかった。タナカカツキはサウナにテレビを反対派みたいだけど、自分としては普段見ない番組を見れたり、知らないオッサンと一緒に笑ったり、爺さん達とグルーヴが出来たりするから嫌いじゃない。去年の夏にサウナ内テレビでみた乃木坂の生liveが自分の中では大きな思い出になっているのもあるし。ただ、ウェルビーの森のサウナみたいに、テレビがないことの魅力もわかる。

その程度のことを考えていたつもりが、いつのまにかサウナについて深く考えてしまった。サウナは人為的に作られたものではあるし、管理しているのも人間だ。人の手が加わっているからこそ「テレビを無くして欲しい」、「チャンネルを代えてほしい」、「水風呂の水温はシングルがいい」といったような気持ちは自然に対する要望より現実味があるので納得がいく。実際に自分自身にも好きなサウナはあるし、このサウナのどこが好きだっていうポイントもある。しかしながら、サウナには人工のものとは書いたが、山や海と同じ「自然の寛大さ」を備えていると思う。サウナの前では人は無力であって、サウナの寛大さに受け入れてもらうしかない。それと同時に、自分自身もサウナに対して寛大になって受け入れたいと思う。サウナに違いがあるのなら、その違いに合わせてケースバイケースで楽しむべきだ。自然にケチつけるなんていうことはただの傲慢だ。どのサウナにもそれぞれの魅力、楽しみ方があるという結論に帰着した。

 

外気浴で寝そべって空をぼんやり眺めた。いままで、空をながめることは中学、高校の時の部活の時(ストレッチ中)ぐらいだった。「空をながめる」っていう表現はナルシスト的だし、仕切りに写真を撮りたがるサブカルシャバ僧みたいでダサいとは思うけど、サウナ後のそれは特別だ。サウナトランスの中で流れる雲を見るだけで、情けない自分を受け入れられた気持ちになる。サウナ後の外気浴は、自己肯定感に浸れる人生において限られた時間のひとつだと感じた。

 

 DVD録画しておいた、もろもろのハナシを見た。おぎやはぎバナナマンは今一番かっこいいオッサンだと思うし、オードリーはオドぜひがあるからか近い距離感を感じるし素晴らしい面々の番組だ。雑談の中で「大人になったら感動することがなくなる、すごいことも日常になってしまう」っていうのが引っ掛かった。自分にあてはめてみても、最近は大きく気持ちが動いたことがない。ドラマ、お笑い、音楽、動画などのに感動したりしても、自分が何も努力していないし達成感もなにもない。簡単に感動できるっていう点で時間に対するコストパフォーマンスが一番いいように感じるけど、楽しみがそれしかない自分の人生に対して懐疑的になってしまう。